私達はデッキプレート(構造・型枠用鋼製床板)を現場施工する会社です。
資材荷揚げの合番から、敷き込み、デッキ納めが主な仕事内容です。
コンクリート流れ止めの鋼製鉄板はプレス製作から現場施工を行っております。
会社概要
会社名 | 及川鉄工株式会社 |
所在地 | 〒003-0869 北海道札幌市白石区川下641番地 |
アクセス | 地下鉄白石駅 中央バス乗車(川下線白24) 川下会館前下車¥210 新札幌バスターミナル 中央バス乗車(厚別通線白38) 川下5条4丁目下車¥210
※最寄駅 JR平和駅 (直線距離約1.2km) ※駐車場 有 |
代表者 | 堤 清丈(つつみきよたけ) |
会社設立 | 昭和37年(1962年)6月22日 |
資本金 | 20,000千円 |
従業員数 | 13名 |
取引銀行 | 北陸銀行 豊平支店 北洋銀行 新琴似支店 |
営業種目 | デッキプレート工事 アンカーセット工事 |
販売先 | 藤光鋼材株式会社 朝日機材株式会社 有限会社明倫産業 フジ機材工業株式会社 日立機材株式会社 高島株式会社 |
仕入先 | 藤光鋼材株式会社 伊藤忠丸紅テクノスチール株式会社 北海道エア・ウォーター株式会社 |
売上 | 平成23年9月 99,000千円 平成24年9月 101,400千円 平成25年9月 135,000千円 平成26年9月 159,000千円 平成29 年9月 244,823千円 平成30年9月 209,067千円 令和1年9月 276,157千円 |
企業方針
代表挨拶
プロフィール
生年月日 | 昭和40年4月12日 |
好きな食べ物 | 美味しいチャーハン |
好きな音楽 | hard rock |
好きな有名人 | 松井 秀喜 |
座右の銘 | 等賞一転名字妙覚 |
ご挨拶
昨今、建設作業員の不足による現場の不調や、工期の遅れ、安全管理の形骸化、また、何より職人としての誇りの自身に満ちたメンバーの減少が目立つようになってまいりました。
私達は社員の福利厚生を考え、創業以来業界としてはいち早く、健康保険・厚生年金などの社会保険を完備するなど、安心して働くことのできる会社を目指し、人材の定着を図ってきました。
私たち、及川鉄工株式会社は、業界のStandardを築くために、4本の柱を建てます。
社員一人ひとりを守る“安全管理”
お客様の時間を守る“工程管理”
誰よりも綺麗に納める“品質管理”
会社の発展を願う“原価管理”
この4本の柱を基礎に、デッキを誰よりも多く、綺麗に敷くという初心を忘れず、業界のトップランナーを目指し、尽力して参ります。
インタビュー ~及川鉄工の歴史~
2人の出会い
実は私は、葉原前社長の高校の後輩にあたります。
同じ会社に所属していた時期もあり、葉原前社長には縁を感じていました。
私が起業した時、素晴らしい会社名を考えてくれ、困ったときには相談できる、頼りになる方でした。
及川鉄工にこれだけは失って欲しくない
葉原前社長はハッキリと答えてくれました。
「一流の会社」をずっと目指してきた、と。
一流とは、周りからの信用があってこそ。
そのために、資本金を増やしたり、大手商社との取引など精力的に行動していた葉原前社長。
また、一流の会社を目指す上で、職人会社の旧態依然とした労働環境にも改善策を提示しました。
当時の職人会社には珍しい、月給制や社会保険加入など、「会社を、社員を守る」ということでした。
ある日、葉原前社長が社員に月給制や社会保険加入の話をしたとき、当時の社員から反発がありました。
社員の手取り給料が減ってしまうからです。
何度も社員と話し合いを重ね、「将来の生活設計」を考えていって欲しいという葉原前社長の想いが通じ、
及川鉄工は、職人会社の通例を破ったのです。
これからの及川鉄工株式会社
葉原前社長がおっしゃっていた「一流の会社」。
これを、さらにもっともっと拡充することが、今の及川鉄工の、これからやらなければいけないことだと、私は感じています。
及川鉄工に入社したのは2006年(55歳)です。
客観的に及川鉄工を見ていた立場から、思いもしないきっかけで入社し、10年経ちました。
最初は、中々、皆と心が通じ合わず、不安の連続。
それでも、徐々に時間をかけながら皆とうち解けていきました。及川鉄工の悪いところも、良いところも、見ることが出来ました。
仕事に真っ直ぐ懸命なところが及川鉄工の良さです。その積み重ねで、信用を勝ち得てきたと思います。
これからの及川鉄工に必要なのは、発展力です。“学ぶ心”を改めて大切にして欲しいと思います。
入社して5年目のとき・・・
職人として5年で芽が出なければ退職する決意でした。
自分の理想に追いつかない現実に区切りとして辞表を出しました。
ですが、余語常務に凄い剣幕で退職願をビリビリに破かれ、怒鳴られました。
「こんな格好良い辞め方はさせない!もう一度再スタートしなさい!」
との言葉に考え直し、踏み止まりました。
あの時の余語常務の言葉がなければ今の私はいません。
及川鉄工社員と他の職人会社社員の違い
余語常務がインタビュー中に何度も言ってくれたこと。
「ヒトを育てる。育てる自分も育てる。」
ということでした。
余語常務は、一人ひとりにスポットライトを当てた、育成プランや個別指導など、社員一人ひとりを大切にしてくれた方でした。
特に印象的な言葉は、「脇師」と「データ集積」でした。「脇師」というのは、職長を支える立場の人のことです。どんな職長も自分が守っていくという決意の大切さを教えてくれました。
「データ集積」は、自分が担当した現場の作業進捗や、道具管理、コスト管理を毎日集め、感覚だけで仕事を進めてはいけないということを教わりました。
当時、社長が職人上がりではなかった及川鉄工の、職人としての人間教育をまとめてくれていた方が、余語常務だったと、今回のインタビューを行って改めて強く感じました。
これからの及川鉄工株式会社
私は、2012年に部長職に就任しました。
まだまだやりたいことは山ほどありますが、今回インタビューをしてみて改めて感じたことは、一人ひとりに目を向けて、耳を傾けることの大切さでした。
15年前、常務に止められなければ今が無いし、あそこから厳しい指導や様々な要求が無ければ現在部長として頑張っていなかったと思います。
現在の及川鉄工に一番足りないと思うところは、「人対人のコミュニケーション」です。
自分が何を考えていて、どうやりたいのか、発信する力が足りないと感じています。
今一度、改めて、部長である私が先導をきりながら、社員一人ひとりと対話していくことから始めたいと、決意しています。
「まず何より団結を大切に」
「現場を最速で綺麗に納められる及川鉄工」
そして、「日本一のデッキ屋」と周知の事実となるよう、信用を勝ち重ね日々邁進(まいしん)していきます。
インタビュー後記
インタビューはいかがでしたでしょうか?
私も若い頃、余語常務には、一人の人間としての生き方・精神論を叩き込まれました。強烈でした。
葉原社長には「尊敬」の一言です。
故・小松彰氏(当時部長)を不慮の急病により失い、目の前が真っ暗になる想いの中でも、会社を守り抜いてきました。
調子が良い我輩者の私を、時間を徹して我慢強く育ててくれました。
最後に
55年間日々つむいできたもの
私は、及川鉄工という会社は一言で言うと「家族」だと思っている。
時には好きなことを言い合い、でも心の底では相手のことを思いやり、大事に育てていこうと考えている。
言葉は汚くても、行動は不器用でも、その魂は脈々と流れていると信じている。
その事が先代から引き継いだ一番大切な精神だと思っている。
「仲良く」これが今までの及川鉄工を繋げてきた重要な原動力だし、いつも意識にある根幹だった。
さて、設立55周年の時を迎え、今後どのように及川鉄工の発展と進化をはかっていくか。
その意味で言えば、我々はどんな時も、どこまでもデッキプレートを敷き続けながら(内発)、その敷き続けるという意思と行動によって、施工標準を構築するための実践(発信)をしていく。
この閉塞感のあるデッキ業界、建築職人業界を活性し、皆が溌剌と賑やかに、誉れも高く進んでいけるように、業界活動を活発化させていきたいと考えている。
社員一人一人を大切にする心を決して忘れずに、我々及川鉄工はデッキを敷き、拡げ、築く。
と確信し、堂々と歩むことを強く決意する。